一番支えてほしい時にも、求めてくる夫-夫の変化を観察しながらコーチング視点で人生の舵を取り戻す記録【連載④前編】

モラ夫に気づくまで

みなさん、こんにちは。

ご覧頂きありがとうございます。

今回のエピソードでは、“命の危機に面した父親を前に、『俺』の要求が止まらなかった彼のエピソードをシェアしたいと思います。


余命1ヶ月の父

私の父親は、私たちがハワイで結婚式を挙げる日の1週間ほど前に倒れ、大腸癌と診断されました。

手術、術後化学療法をしましたが、

再発。

再度手術をし、術後化学療法。

その間にも何度か体調を崩し、入退院を繰り返しました。

徐々に、使える薬も限られてきて、それでもなんとか長く生きたい、孫の成長を少しでも見たいという気持ちもあって、頑張って治療を続けていました。

そして、もしかしたら最後になるかもしれないと思って計画したハワイへの家族旅行の1週間前に、また父は急変し、緊急入院となりました。

(ハワイ大好きの父親は、どうして、ここにきてハワイとの相性が悪くなったのでしょうか。。。)

この時、父は私の家にいたのですが、医療者である私も身内の急変となると、かなり気が動転してしまい、救急車を呼ぶための番号も忘れてしまうほどでした。

なんとか一命をとりとめましたが、十二指腸に転移していることがわかり、そこからの出血があるため、担当医からは、

『もう食事はできません。余命1ヶ月です。』

と言われました。

目の前真っ暗。

腰が砕けそうでした。

あんなに楽しみにしてくれていたハワイでの結婚式にも参加できず、

あんなに楽しみにしていたハワイ旅行にも行けず、

孫もまだまだ小さいのに。

じいじと呼んでもらえるまで頑張ると言っていたのに。

悲しみが止まりませんでした。

一番辛く、悲しかったのは父だと思いますが、父はその感情を私たちに見せることなく、ただ静かに、現実を受け止めているように見えました。


残り1ヶ月。

“私たちが父に出来ることはなんだろう?”

家族みんなで話し合い、

父と過ごせる1日1日を大事にしよう、父のやりたいことを叶えられるよう、サポートしよう

ということになりました。

意を決して沖縄へ

父はずっと、『病院はいやだ』、と言っていたので、

早めに退院させてもらい、

しばらくは私の家で家族みんなで過ごしました。

(ハワイ旅行にいくために、みんな休みをとっていたのです)

そして、幸運にも、父の体調は少しずつ良くなり、

『ハワイが無理だったから、せめて姉家族が住む沖縄に行きたい!』

ということで、

いろんなリスクを承知の上で、沖縄に行くことになりました。

彼は仕事もあるので、両親、姉家族、そして私と息子だけでいくことになりました。

その前日。

彼からの言葉に衝撃を受けました。

みんな、僕と息子を離れ離れになることがどんなに辛いことか、わかっていない。

僕がどれだけ辛い思いをしているのか、誰も気遣ってくれない。

息子にとっても、この時期に父親がいないというのは、悪影響だ。

Yokoも、僕の気持ちを全然考えてくれてない。配慮がない。

【え・・・】

絶句しました。

【この状況下で(父の余命1ヶ月)、そんなこという?

残された時間を、家族みんなで過ごそうと言って一致団結してるところなのに…】

彼なら、喜んで私たちを沖縄へ送り出してくれるとばかり思っていたので、彼からの言葉は衝撃的でした。

 

でも、あの時の私は、

【彼はそう感じたんだ、孤独を感じさせて申し訳なかった。】

と思い直し、

私:ごめんね、配慮が足りなかった。

と謝りました。

そして沖縄で2週間ほど滞在。

私の通院や息子のワクチンの予定もあったのもありますが、なにより彼からの『まだ帰ってこないのか』の圧がすごすぎて、2週間で一度帰宅しました。

彼は、すごく嬉しそうでした。

でも、正直、私の気持ちは正反対。

私は、もっと沖縄で、父と過ごしたかった。息子の姿をもっと見せてあげたかった。


そして、また沖縄に行きたいと、ある日伝えました。

すると、

また僕を一人にしようとする!傷つけようとする!

また家族を分断させようとしている

僕がこの2週間、どれだけ孤独やったかわかる?成長著しい時期の息子の姿を見れず、この貴重な時期を、Yokoは僕から奪ってるんやで?

息子にとっても、父親がいないことがどれだけ辛いことかわかってる?

と大炎上。

【この人は、自分のことしか見れてない。】

と思いました。

息子はこの時、まだ0歳。

【息子から彼を奪うようなことをしているだと?】

さすがにこの時は、理解できませんでした。

でも、このことを、誰にも言えなかったんです。

私の友人は、みんな彼との共通の友人でした。

私の家族も、彼のことを信頼しているし、なにより父親が大変な時期に、心配をさせたくなかった。

だから一人で対処しようと思って、

でも辛すぎて、

初めて女性ホットラインに相談しました。

『彼は寂しいだけだから、嘘でもいいから、彼を安心させるようなこと言ってみたら』

と言われました。

そして、なんとか2回目の沖縄ステイを、

・次も2週間で帰ってくる

・毎日連絡したり、写真を送る

を条件に、やっと納得してもらいました。

これが『モラハラ』?

この時から、沖縄の姉家族の家が、私の中で避難所になっていました。

彼のしがらみから逃れたかったんです。

そして2週間ほどたち、また帰る日が近づきました。

ある日、息子を母に預け、姉と二人で海辺でランチすることに。

この時に初めて、姉に、彼とのことで悩んでいると打ち明けました。

すると、

なんか、モラハラっぽい

と言われました。

ただこの時は、モラハラと言われても、ピンときていませんでした。

【これがモラハラ? どういうとこが?】

そして、帰宅する日。

ガリガリになった父が、もう力もないのに、荷物を持ってくれようとしたり、駐車場まで降りてきて、見送ってくれました。

空港に降り立つと、彼が待っていました。

久しぶりの彼との再会だったけど、全く心躍らず、むしろしんどかった。心が重かった。

【今度は何言われるんだろ…】

【話し合いは避けたいな】

彼と話し合うことが怖くなっていました。


そして父も、一旦父の家へ帰ることになりました。

父の家は、私達の家から車で行ける距離にあったので、彼の仕事が休みの日に合わせて、父の様子を見に行くようになりました。

触れてはいけない話

私達には、結婚してからずっと解決できていない問題がありました。

というのも、彼には実家を継ぎたい気持ちがあったのですが、私は彼の実家がある地域がどうしても嫌で、

“将来どうするか”

について、決められてなかったんです。

でも、お互い、このことを話すのはすごくエネルギーが必要で、お互いの願望を譲らないもんだから、話し合いは平行線で、いつも喧嘩でおわっていました。

いつしか、将来の話は、二人の中で、

『触れてはいけない話』

のようになっていました。


【この話は、父の状態が落ち着いてからにしてほしい】

と、私は彼に、再三言っていましたが、

彼も彼で、両親からの圧、早く研修し実家を継ぎたいという気持ちなども相まって焦っていたようで、

度々私にその話題を出してきていました。

そしてある日、”触れてはいけない”話題を、彼は、父の家に向かう車中で話し始めました。

たしかあの時、彼は夜勤明けで1時間くらいしか寝てなかった日でした。

私が、

お互いやりたいことをやるなら、単身赴任する期間が出てきても仕方ないよね

と言うと、

僕が1番大事にしているのは、家族みんなでいること。仕事は二の次なんだ。それなのに、Yokoは、家族が離れ離れになることを簡単に言う。それは、僕を大事にしてないということ。僕がこんなに声を荒げてるのは、Yokoの態度や言動が悪い。だからお互い反省するべきじゃないか。

と彼は言いました。

実は、今回が初めてではなく、

私と息子が、父親の帯同で沖縄へ行き出してから、

家族分断している

僕を大事にしていない

俺が怒るのは、あなたのせいだ

こういう言い方をされることが、常態化してきていました。

その度に、私の心の中には、ヘドロのような重たく黒いものがへばりつき、

体がどんどん重くなる感覚を感じるようになっていました。

後編につづく

タイトルとURLをコピーしました