息子と逃げた日|夫の変化を観察しながらコーチング視点で人生の舵を取り戻す記録【連載⑤】

モラ夫に気づくまで

みなさん、こんにちは。

今回は、『0歳の息子と二人で、彼から逃げた日』についてお話したいと思います。

これまでは、コーチングマインドで頑張ってきた私でしたが、あの日ばかりはもう、心が限界を迎えていました。

きっかけは、また『触れてはいけない話』から。

父が亡くなって、1ヶ月もたたないうちに、彼は再び、

『触れてはいけない話』つまり、『将来どうするか?』の話を持ち出してきました。

まだまだ父が亡くなった喪失感、悲しみ、無力感でいっぱいだった私には、重すぎる話題でした。

二人きりで話すには、気が重すぎました。

ちょうどその頃、彼の実家に帰省する予定があったので、両親の前で話すことになりました。

彼の両親は、すごく素敵な方で、私のこともいつも気にかけてくださっていました。

私が挑戦したいことも、理解してくれ、

『それなら、少しの間(約2年)、別居期間があっても仕方ないよね』

という話になり、彼も承諾してくれました。

でも、私は、自分が挑戦したいことが2年間で終わらせられる確信が持てませんでした。

挑戦した先で、さまざまな出会いやチャンスがあるはずで、そこからまたどのような可能性が出てくるか、誰にもわからない。

だから、今の時点で、『2年間で絶対彼の実家に帰る』というのは、言えなかったんです。

でも、この条件を飲まなければ、またあのしんどい話し合いが再開される。

それが苦痛すぎて、その苦痛から逃げるように、その条件を受け入れたのです。

しかし、それから、

『2年後には私と息子は(否応なしに)彼の地元に移住する』

という前提で話がどんどんすすんでいったので、

【これは、まずい】

と思いました。

2年後、もし私が、

『やっぱり、もう少し、実家に帰るのを延期したい』

と言ったものなら、

彼はきっと、

『約束が違う!まだ家族を分断しようとするのか!』

と逆上するのが目に見えていました。

だからある日、

『2年ではなく、もう少し伸びる可能性も視野に入れて考えて欲しい』

と伝えました。

すると、彼の目の色が変わりました。

散々この話をしてきて、お互いが妥協した結果、この条件に落ち着いた。それなのに、また同じ話を持ち出してきている。あの時、離婚するという選択肢も出てきたくらい、たくさん話し合ったやんか。僕が2年でも別居はしんどいって言っているのに、さらにその期間を伸ばそうとしている。俺のことを大事にしていない。息子にとってもよくない。Yokoは、別居したら、ワンオペになって、それでちゃんと息子を育てられるんか?仕事と育児で精一杯になって、僕への連絡とかはできないのが目に見えている。

と、まくしたてるように言いました。

そして、

Yokoが僕に対して、無理難題を言っている。言動や態度も含めて、僕の嫌いな上司にそっくりだ。その人は今、まともに社会生活が送れていない。だからYokoも社会人として失格。それに、家族を分断させようとしているから、主婦としても失格や!!

と言われました。

社会人として失格

それに

主婦として、母親として失格

えーっと、じゃぁ

一体私は何者?

彼とこれ以上話すのがしんどくなり、深夜だったこともあり、

『もうお願いやから寝させて』

と言って、寝室に逃げました。

起きた瞬間から始まる口論

翌朝、私が起きた直後から、昨夜の口論は再開されました。

結局どうするん?Yokoが地元に来るか来ないかで、多くの人に迷惑がかかるねん。

私は、

地元には行くって言っている。それに今更行かないと行ったところで何もかわらへんやろ

と、やや投げやりになりました。

すると、彼は、起きている晴を抱っこしながら、私に向かって足元にあった、お義母さんが息子のために買ってくれたぬいぐるみを、私に向かって蹴りました。

蹴られた人形は、私にはあたらず、壁にぶつかり私の足元に落ちました。

びっくりしたのと同時に、強い恐怖を感じました。

【ついに暴力がでた】

と思いました。

その後も、

どうするんよ、結局。何か言って。そんなんだったらもう書類用意してくる(離婚届)わ

と言われました。

そして、

こんな状態で仕事に行けないから、遅れると上司に連絡する

と言われたので、

今話しても埒があかないから、とりあえず行って

と私が言うと、

俺は金さえ稼げばいい存在なんか!?こんな状態で仕事できるわけないやろ!!

と声を荒げました。

そして、朝食のパンを手で握りつぶして、ニコニコ笑顔で遊んでいた息子の前を、すごい勢いで通り過ぎ、玄関に向かっていきました。

避難した日

産後から始まった、彼の感情的な言動について、誰にも相談できませんでした。

それは、

彼の外面が良かったから。

私の家族や、友人は、彼のことをよく知っており、特に家族は、彼のことをすごく信頼していました。

そんな家族を幻滅させたくなかった。彼の悪い面を見せたくないと思ったんです。

でもある時、姉に『モラハラちゃう?』と言われたあたりから、姉には相談できるようになっていました。

そして今回、暴力まがいのことがあった後、喧嘩したことは姉に伝えました。

人形を蹴られたことは、最初言わないでおこうと思いました。

これを言ったら、何かが終わる気がしていたんです。

でも、どうしてもそのことを一人で抱えていられなくて、最後の最後に言いました。

すると案の定、

それはやばいから、私の家においで

と言われました。

正直、そこまで大変なことだと思っていませんでした。

でも、もう限界かもしれない、とも思っていました。

何度も息子の前で声を荒げて、冷静になってから、謝られ、息子の前ではもうやらない、

と言うのに、それが繰り返される。

ついには、息子が見ている前で、暴力行為も出ました。

だから、彼が仕事に行っている間に、息子と二人で最小限の荷物を持って、家を出ました。

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