みなさん、こんにちは🌷
このブログをご覧いただき、本当にありがとうございます。
今回は、今までと少し違って、父親について書きたいと思います。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
ハワイが大好きだった父
昨年の夏、父親が亡くなりました。享年71歳。若いですよね。
昔からハワイが大好きで、海外に家族旅行といえば、必ずハワイでした。でもなぜか、最後の方は、ハワイには振られ続けた父。
家族とのハワイ旅行を2度も、大腸癌の治療のためキャンセルせざるを得ませんでした。
1回目は、なんと私のハワイ婚のとき。
出発日の1週間前に、ご飯が食べられなくなって、救急搬送された先で大腸がんと初めて診断されました。しかも、結構進行していそうなタイプのガンでした。
特別すぎる旅行だったのに、絶対父親には来て欲しかったのに、それが叶わないことも、悲しかったですし、
なにより父親が大腸がんだと診断されたことが、とてもショックでした。
なんで、検診受けて、ともっと強く言わなかったんだろう
なんでもっと早く、気づいてあげられなかったんだろう
後悔ばかりしました。
2回目も、これが最後だと覚悟を決めていた、家族とのハワイ旅行の1週間くらい前。
昔馴染みの友人とご飯を食べてきて、嬉しそうに帰ってきた父でしたが、
帰宅後から吐血、血便を繰り返して、立てないくらいフラフラになり、救急搬送されました。
余命1ヶ月と宣告され、ハワイ旅行はまたもやキャンセル。
ハワイに対しては、きっと、未練いっぱいだろうと思います。
(あの世では、きっと、行き来も自由だろうから、ハワイに行きまくってるんだろうな)
様々なアイデンティティの間で
私には、いろんなアイデンティティがあるわけですが、
それぞれの線引きが、それぞれの棲み分けが、わからなくなる時があります。
特に、父親の看病していた時、父を亡くした時、強く感じました。
私は医師だから、専門領域はもちろん、それ以外の知識もある程度持っているし、
わからなくても、ネットで検索して、情報の正確性の判断もある程度つきます。
だから、自分自身の健康はもちろん、家族の健康を守りたいと思っています。
父親が大腸癌とわかった時も、ガイドラインを調べて、治療方針を考えたり、もっといい方法はないか、どんな治療法がいいのか、どんなケアが必要なのか、いろいろ考えました。
実際、私が医師だとわかると、
父を診てくださっていた医療チームの方々も、私にいろいろ意見を求めてくださりました。
あんまり口うるさい娘と思われたくはなかったけれど、そんなことは言ってられない。父親の命がかかっているわけだから、私もめちゃくちゃ必死でした。
そしてなにより、父がもうすぐでいなくなるかもしれないと思うと、めちゃくちゃ不安で、悲しかった。
でも、その不安や悲しみは、見せてはいけないものだと思っていました。
なぜなら、
私は医師だから。
医師だから、私は冷静でいなければいけない。
医師だから、家族の健康をちゃんと守らないといけない。
医師として、正しく判断しなければいけない。
そして、
周りからも、医師である私 を期待されている
と勝手に思っていました。
父親が自宅で吐血、下血して、ふらふらになって立てなくて、救急車呼んだ時も、
救急車の番号を咄嗟に忘れるくらい気が動転したけれど、
医師である私がしっかりしないといけない
と思って、泣かなかったし、
父親が朝、命を引き取った日、
私が死亡確認した時も、
これまで自分が医師として担当患者さんにそうしてきたように、
冷静に、死亡確認しました。
この時も、泣きませんでした。
泣くタイミングが、もうわからなくなっていました。
父親が、大腸癌ステージ三で、術後再発を繰り返していたので、もう先は長くないことは、わかっていました。
父親はいつも前向きだったし、私ももっと楽観視したかったけど、医師という職種柄、エビデンスに基づいて考えてしまうから、仕方ありません。
だから、ついに、その日が来た時も、覚悟していた日がついに訪れた、という感じで、
こうなることは、前からわかっていたよ
そんな感じで、父親を、担当患者さんのひとりとして、見ていた。
冷たいように思うかもしれないですが、
そうしないと、立っていられなかった。直視できなかったんです。
あの頃の私は、
医師というアイデンティティを借りて、
娘としての悲しみを、ただ感じずにいようとしていただけなのかもしれません。
『冷静な私』
私は小さい頃から、”冷静な子”と言われていて、
それが医師という職業と、ある意味マッチして
医師になってからより一層、”冷静な私”でいようとするようになりました。
医師をしていると、ある意味で、どんどん感情を感じなくなっていく気がします。
というより、いちいち感情を感じていたら、仕事ができなくなるから、そうせざるを得ないというのが正しい表現かもしれません。
人の死は、悲しい。
それは、本当にそうです。
でも、
医師は、職業柄、どうしても、人の死に直面する率が高くって、
その度に、悲しんでいたら、
心が持ちません。
だから、段々と、感情とは切り離して、悲しみを感じなくする術を身につける。一種の防衛本能だと思います。
父親の時も、この性質が出てしまって、
正直、いつ泣いたのか(というより、泣けたのか)覚えていません。
『時間が解決してくれる』なんてウソ
時間が解決してくれる
とよく言うけれど、それはもう、ウソなんじゃないかと思ったりもします。
時間はなにも解決してくれない。
時間が経つと、目の前の日常や仕事や家事が、覆い被さってきて、悲しんだ心が見え辛くなるだけ。
悲しみは、ちゃんと、心の中にあります。
そしてその悲しみは、何かの拍子にひょっこり顔を出して、
まだここにいるよ
と訴えてきます。
もちろん、時間が解決してくれる問題もあるとは思います。
時間をおいて、冷静になって、考え直したら、ほかの考え方ができるようになったり、新たなアイディアが生まれたり。
でも、傷ついた気持ちとか、悲しい出来事は、別なんじゃないかと思います。
というか、解決させようとするのが間違ってる。
解決云々の問題じゃないことも、あります。
感情を無視しない
何かの拍子に、隠れていた悲しみがひょっこり顔を出してきた時、それをまた、見て見ぬふりするんじゃなくて、解決させようとするんじゃなくて、
あ、いるな
私、悲しいんだ
と、
その感情を認めてあげること。
そして、その感情を、ちゃんと感じてあげること。
その感情を持っている自分を、否定しないこと
それが大事なんじゃないかと思います。
そもそも、感情に、いいも悪いもなくて、
どんなネガティブな感情も、自分にとって大切なもの。何かメッセージを伝えようとしてくれているもの。
悲しみを感じている自分を、まるごと抱きしめてあげることができたら、
不思議と、
よし!
と思える。
父親はきっと私に、そのことを伝えたかったのかな
と思ったりします。
偉大すぎる父。
ありがとうね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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